| 開催日 | 令和8年7月18日(土) |
|---|---|
| 開催場所 | 那智勝浦町役場 大会議室 |
総会終了後、ヤタガラスに関する講演と那智勝浦町の名誉町民でサッカーを初めて日本に紹介した中村覚之助に関する講演会を開催いたしました。
第1部 演題 八咫烏のルーツを探る
講師 山本 殖生 氏(日本ヤタガラス協会会長・国際熊野学会代表委員)

世界各地にみられる太陽のシンボルとしての三足烏。日本には中国大陸から朝鮮半島を経て「飛来」してきたと言われています。特に熊野三山にはシンボルとして八咫烏という三本足の烏がいます。伝承では神武天皇東征の折に、アマテラスの使いとして大和の国へ道案内をした建国のヒーローです。
第2部 演題 日本サッカーのはじまりと中村覚之助(第4報)-FIFAワールドカップ2026をめぐって
講師 中塚 義実 氏
(日本ヤタガラス協会副会長・特定非営利法人サロン2002理事長・筑波大学付属高校元教諭)

- 世界最大のスポーツイベント-FIFAワールドカップ2026
- 世界への挑戦は中村覚之助から
- 「中村覚之助杯」を視察して
「日本サッカーの始祖」中村覚之助は明治11年(1878)5月 那智勝浦町浜ノ宮で生れた。
同35年東京高等師範学校(現筑波大学)在学中に「アソシエーションフットボール」を翻訳し、日本初のサッカー指導書を発刊、蹴球部を創設し日本最初の近代サッカーの試合を行った。
氏はサッカーの普及発展の礎を築く活躍をしたが、志半ばの明治39年29歳の若さで急逝した。
日本サッカー協会の旗章「三本足の八咫烏」は熊野出身の氏に因んで選定したと伝えられている。
和歌山文化協会は平成14年、第53回先覚文化功労者として顕彰した。
令和3年9月10日 那智勝浦町名誉町民として顕彰。
総会当日の様子を「熊野新聞社の1面に掲載頂きました
